「うん。経過はいいみたいだね。問題なく動くと思うよ。」
「うむ、助かった。礼を言うぞ。」
「ほんとだよぉー。こんな僻地まで出張させるんだから。人使いが荒いなぁ。」
「これを直せるのはぬしぐらいしかおらんからの。」
「まぁねぇー。メンテならいくらでも承るけど…もう少し大事に扱ってやってよー?可愛い可愛いウチの子なんだからさ。」

「おっと、そろそろ眠剤切れる時間かな。ボクは退散しておくよ。」

「じゃあね、ラグナ。たまには顔見せに戻ってきてねー?」





…何か嫌な夢を見た気がする。
ぱちりと目を開けたラグナはそんなことを思っていた。
内容はさっぱり覚えてないけど、どこかへ落下する感覚がまだ身体に残ってる。早鐘のような鼓動もまだ。
「目が覚めたかの?」
はっとしたラグナがそちらを向けば、椅子にこしかけたユヤンがこちらを見ていた。
かと思えば、いきなり『アクアテール』をけしかけてくる。
とっさにラグナはベッドから身を起こし両腕でガードした。
「ッぶあ!冷たッ!なにすんだテメェッ!」
「ふむ。どうやら本当に問題なさそうじゃの。その腕。」
はっとしたラグナが見下ろした。自分の腕、特に右の腕を。この腕が全く動かなくなったあの瞬間を思い出しながら。
圧倒的で無感動な、真っ黒い靴と男を思い出しながら。
まるで当たり前のように今、動いているけれど。ぞくり。一拍遅れて背筋が粟立った。記憶の中の冷気が染みだしてきたような。
「……。」
無言でラグナはてのひらを、ひらいて、握って…床を睨む。
そこにばんッ、とドアの音が乱入した。
「ラグナ起きたってマジかよー!?おいラグナ生きてっかー!?」
「あっアダってばもうだめだよだめだよ…!しっ、静かにしよ…?ね…?」
アダとエスだった。わっととびついてくる二人にラグナは目を丸くする。その後ろから背の高い影が歩み寄った。
「…お加減はいかがですか、ラグナ様。」
「お、おおグラオ…あーうん、ヘーキ。」
「それを聞いて安心しました。」
ふっと微笑むグラオ。わぁわぁと騒ぎ立てるアダとエス。皆まだ包帯が取れきっておらず痛々しいが、こんな稼業だ。そのぐらい日常茶飯事。
そう。なんてことない。なんてこと、ない。
胸の中からじわりと湧く、仄暗い不安を押し殺すように。
「ラグナ。丁度頭数も揃ったから言っておくぞ。」
…ひやり。何故かその台詞に、鳥肌が立った。

「ぬしらにはしばらくの間、活動を停止してもらう。」

それは一瞬ラグナには、意味を成す文字列に聞こえなかった。
「……は?え、な、え。そりゃ、どういう、」
「しばらくの間依頼を引き受けぬ、という意味じゃ。これより戦闘行動を一切取りやめてもらう。」
成程簡潔な説明だった。非常にわかりやすいが、納得できるか。
「ッ意味わかんねェってのおい!ケガ治ったろ!俺の腕だって動くしよ!なのに戦れねェとか意味わかんねェよ!」
「つってもよーラグナー…。」
頭を描きながらアダが割り入る。見回すとどうやら理不尽さを感じているのはラグナだけらしく、他は皆渋い顔をしつつも、どこか納得した様子だった。
「アタシらだって死にゃしなかったけど、まだケガは残ってるしよー…それにラグナ、銃ブッ壊れたんだろー?」
はっ、とラグナが息を呑む。そうだ。銃は。気づいた瞬間あの仄暗い不安が、はっきりした形で刃を刺す。
「そう。ぬしの銃は全壊した。直す事はできん。」
ユヤンは迷いもためらいもなく、刺さった刃を後押すのだ。
「じゃからぬし用の銃を入手せねばならん。それにはなかなか時間を要する。それまで依頼を引き受けぬ、という方針じゃ。」
感情<ココロ>を解さぬ目に、酷い顔のラグナが映った。

「銃を欠いたぬしが戦場に出れば、即座に死ぬじゃろう。」

目を、
いっぱいに見開いたのは一瞬。いまにも喰い殺しそうな凶眼をユヤンに向けた。
それは深いところに傷を負った、手負いの獣の目。
ゆらり、とラグナは立ちあがり、ドアへ突き進んだ。ドアを開けたその背中に声をかけかけたアダ達が強張った。今まで感じたことのない殺気をラグナから感じたから。
「…行くぞてめェら。」
「…ら、ラグナ?どこに…?」
「戦場。依頼でも割り込みでも構わねェ。こんなシケたとこにいられるか。」
エスを冷たく突き放すラグナ。おいラグナ、と言いかけたアダをグラオは腕で制止するが、ユヤンの口は止められなかった。
「ならぬ。まだ無駄死にされては困る。」
「ッッるせぇんだよッ!!!」
がんッッ!殴りつけたドア枠がひび割れ歪んだ。
「銃が無いぐらいで戦力外扱いしてんじゃねェよ!!ふざッけんな!!なんならこの場で全員ブチ殺してやろうか!?俺は戦れる!俺が戦れなくなるなんてありえねェんだよッ!!!」
廊下の壁を思いっきり蹴り飛ばす。音をたてて穴開いたそれに見向きもせず、ラグナは足音荒く歩み去った。
絶句する一同。しばし重い空気を吸った後、グラオとユヤンが同時に吐き出した。
「解せん奴じゃの。死を阻止する事の何が気に入らぬというのか。」
「テメェ実はアホだろ。」
「うむ?」
「今のがわざとじゃなかったとしたらテメェは相当の阿呆だな。」
どうせわざとじゃないんだろう…。グラオは他人の意図に敏感だ。だからユヤンにラグナへの悪意がないことは容易に読みとれるのだ。
『死なせたくない』と。
言葉にすればたったそれだけの事を、コイツは。しかし実際主が向こう見ずすぎる事もまた事実で。
グラオはずきずき痛むこめかみを押さえた。
「阿呆呼ばわりは解せんの。」
「解せんだろうよ。」
俺にだって解せないのに解せてたまるか。何がそこまで主を深く追い詰めたのか。
そのぐらい非常に複雑で厄介なのだ――人の心、というのは。



そこはどうやら随分と広い屋敷だったようで、突き進む廊下はやたらと長かった。
乱暴に早歩き転がる瓦礫に八つ当たりながらラグナは突き進んだ。広くはあるが人の気配もしないし、おそらく廃屋なのだろう。しかしその広いというのが厄介で、なかなか出口が見つかりそうになかった。単調に見えた廊下も、進んでみると意外とややこしい造りになっている。
余計に苛立ったラグナは、カビ臭い花瓶を蹴り飛ばす。
ひどく軽い感触で砕け散る花瓶。散らばるその破片を見ていると、不快感が背骨を焦がした。
「クソが…。」
壁に叩きつける拳。
「クソが、クソが…ッ」
頭がぐるぐるしていた。何がなんだかわからなかった。ひたすらに不愉快だった。不快で不快で胸糞悪くて。誰が?何が?ユヤンが?
そう。今の怒りの対象は間違いなくユヤンなはず。銃が無いから戦うな?冗談じゃない、銃がなくたって戦える。俺はどんな状態でも戦える。
戦場に立たない俺なんてあり得ない。あり得ないんだよ。戦わなきゃ生きてけない。戦わなきゃ俺じゃない。だから、俺は、戦える。
(……そう、だろ?)
空のホルスターがおもむろに、空虚さを主張する。
黙れよ。黙れよ。必死で無視をする。あり得ねぇんだよ。俺が戦えなくなるなんて。今までずっとそうやって生きてきたんだから。
右も左もわからないガキが、イカれた連中に拾われてからずっと。
連戦して、連勝して、戦って戦って戦って、蹴落として、蹴落として、ロクな相手もいなくなる程に蹴落として。
"戦う"。"勝つ"。それが自分。
それが失われる事なんて、あり得ない。


―――あり得るとしたら?
黒く冷たい一文と共に、黒いシルエットが、金と赤の光を刺した。


その瞬間右側から強烈な気配を感じた。
振り返るより速くホルスターに手が伸びる。その手が空振った瞬間、身体は動揺して鈍ってしまい。
背後の壁が爆発音と共に吹っ飛んだ。
はっと振り向けた時にはもう、砕けた大きな破片が眼前。

…強か打ちつけた額と、背中と。
ついさっき殴りつけた壁にもたれて、ラグナは、ずるずると崩れ落ちた。
「う、あ…。」
…痛い。
痛い。血を流す額が痛い。けれどそれ以上に、ホルスターを空ぶったあの虚ろさが痛かった。
まざまざと思い知らされた事実が、痛かった。
あり得ないも、何も。目を逸らしていた恐怖がラグナへと突き刺さる。戦う術も、勝つ術も、今、失われているのだ。

"自分"を保つ術が今…失われているのだ。

開く、瞳孔。滞る、呼吸。足先から自分が、崩れて逝きそうな。



「…らぐなぁ?」

唐突に。砕けた壁の奥から、声がする。

え、と固まったラグナと、まぁるい目が合った。
「らぐなぁ?らぐななの?」
やっぱりそれはウトだった。あれ、こいつなんでこんなとこに。そういえばさっきもいなかったような。いや。それよりも。
なんでそんな顔してんだ…?
彼を中心として、放射状にひび割れた部屋。見慣れた丸くて大きな目からは、大粒の涙がぼろぼろ零れていた。

エッジが去ってから、ウトの暴走は収まったものの。
メンバーの怪我を見て、特に目を覚まさないラグナを見てウトはずっと安定せず、力の暴走が続いていた。
そのためユヤンがウトを静かな部屋へ隔離し、ほとぼりが醒めるのを待っていたのだ。
…とはいえ、ラグナはそんなこと知る由もない。

「らぐなぁ、らぐなぁ…。」
ぺたぺた。たどたどしくラグナへ歩み寄った。まるで怖い夢を見た子どものよう。
そしてしがみつくように、抱きつく。
「らぐなぁ、おきてる?ねてない?ねてない?」
普段より一層強いそれは骨を軋ませたが、それよりもその震えている肩が、ラグナは気になってしょうがなかった。
「…しんで、ない…?」
ラグナは目を瞠る。コイツが人の死を認識できるところを、随分久しぶりに見た。
確かに出会ったあの時はそうで。旅を始めてしばらくもしない頃から"ねちゃった"という認識に変わっていた。そういうもんかと、常識に疎いラグナは軽く流していたのだが。
「…今はテメーに殺されそうだ。」
「……ッ」
「いだッ、いてェいてェマジいてェッ!嘘だって!嘘だから落ちつけってのお前!なぁ!」
さらにきつく抱きつかれた。真面目に死ぬ。余計な冗談はよしておこう。
…今ならこんなんでも、マジで、死んじまうかもな。
ふっとかすめる思考。瞳から光が、消える。
「…った…。」
ぽろり、零れたウトの呟きに耳を傾けた。
「らぐな、いた、よかった、いた…。」

あまりにも必死な、響きだった。
聞く者の胸をぎりりと引き絞る、必死な響き。しがみつく腕はがたがた震えている。触れている今この瞬間でさえも、恐怖に震えていた。
それでも離すまいと、必死で、しがみつく。
どうして。思うのはそれだけ。どうして、そこまで。

「"俺"なんざ…。」
それは思わず、口をついた。
「いたから、何だってんだよ…。」
戦えない。勝てない。"ラグナ"の核を失ってしまった、自分なんて。
するとウトは不思議そうに顔をあげた。
「やだよぉ。らぐながいないと、かなしいよ?」
「…それは俺じゃねェよ。」
「なんで?らぐなは、らぐなだよ?」


「らぐなは、ここにいるよ?」
ぎゅう。痛い、けれどしっかりと、ラグナに触れて掴む腕。
「らぐないなくなったら、やだ。らぐなここにいるの。ここにいなきゃ、やだ。」


その目は、まっすぐにラグナの目を見て言っていた。
眼球からその奥の人格や不安まで、見て言ってるんじゃないかと錯覚する程に。
「……。」
思わず頭を掻きながら、再びしがみつくウトを見下ろす。
コイツは、こう、なんと言えばいいのか。あまりにもシンプルすぎてたまについていけない。なぁ。教えてくれよ。お前の見てる俺ってなんなんだ。
聞いたところでまともな説明は返らないだろうし、こっちも理解などできやしないだろうが。

「………さんきゅ。」
その肩にそっと腕を回す。
こんな風に言われて突っぱねられる奴がいたら、お目にかかりたいものだった。









(砕けたそれはゆっくりと、新たな形を成し始める。)





その後。

「戻ったと思えばますます解せん事を言うのうぬしは。」
「るっせェなゲセンでもエビセンでもどーでもいいから一発殴っとけつってんだろ。けじめだけじめ。」
「話の繋がりが見えぬ。」
「見えろよ!んだよ俺にもよくわかんねェよ!ああくそ殴んねェならこっちから殴んぞ!」
「なんじゃ訳のわからぬ奴じゃの。腹を立ててるなら最初からその方が自然じゃろう。」
「ちげぇえええ!!!そういう事じゃなくって…ッあ゛ーー!!!」

…こほん。
傍から見ていたグラオが一つ咳払いをした。
「…ラグナ様。一つご無礼をお許しください。」
「?」

ごッッ
…ラグナとユヤン、両方の頭蓋からいい音がした。

「「!?」」
「…これで、」
赤みの差した両拳を、グラオは微笑みながら何事も無かったように解いた。
「終わりって事にしとけ、糞面倒臭ぇ。…以上、大変失礼を致しました、ラグナ様。」

fin.